実写映画化もされた山本英夫先生のマンガ作品『ホムンクルス』を全巻読了したので、感想と個人的な考察を備忘録として記事にいたします。
変わらずぶっ飛んでて最高に面白い
読んだことのある殺し屋1とヒカリマン然り、一般社会から外れた振り切れた人間がたくさん登場し、歪に絡み合うので読んでいて飽きないエンターテインメント作品でした。
漫画のラスト解説、名越は覚醒した後に…
明確な答えが提示されたとは言い難い最終回ですが、私個人の解釈を以下に書いていきます。
トレパネーションを行った事により、主人公である名越が見えるようになったホムンクルスを、伊藤は自身の記憶から造られるものだと再三否定していましたが、二度目に行ったセルフトレパネーションによってさらに覚醒したと考えられる事ができます。
ホームレス仲間のイタさんを見た際に、イタさんの人生の軌跡が見えたうえに、「ななみ」を見た時には、整形前の「ななみ」を置いて去った元カレさとしの顔を確認します。
これらは名越の記憶に無い情報なので、伊藤の推測が確かならば見えるはずのないものですが、名越はこれを言い当てることができたので、ホムンクルスを見る力が強まったと言えます。
ちなみに整形愛人の「ななみ」は、本人が何度も否定するように名越の元カノである「ななこ」ではありません。最後まで否定し続ける理由が無いからです。
名越に近づいた理由としては、印象的な知り合いが落ちぶれていたことと、ヤクザから高飛びするための足のつきにくい逃走用の足として最適だったから辺りではないでしょうか。
名越は自分が語った通り、子供の頃のいざこざがきっかけで父親と自分の外見を憎み、目の前の世界を見かけだけの嘘の世界だと忌避するようになりました。
母親について明確な描写はありませんが、離別しているかトラウマを和らげるような存在ではなかったのでしょう。
本心は煌びやかな世界に憧れ、性的な欲求も強く持ち合わせていたものの、酸っぱい葡萄のように現状は自分にふさわしくない世界と勝手に見下した学生時代を過ごします。
しかし大学に進学した先でも方言を笑われ、さらに心を閉ざしたところに元カノの「ななこ」と出会い、自分を受け入れてもらえる喜びと女性を知ります。
それでも本心に潜む憧れを捨てることができなかったため、「ななこ」の元を去り整形手術をして煌びやかな世界に移ることを決断しましたが、皮肉にもそこは自分が学生時代に心の中で吐き捨てていた通りの、見かけだけで精神的な充足感が無い世界と感じ満たされない日々を送ります。
そして金融系の会社に就いている中、自分の仕事がきっかけで落ちぶれてしまった人を見たのがきっかけで仕事ができなくなり、全てを失って作中の社内ホームレス生活になります。
名越は不運なお子ちゃま
名越は真実に伴う痛みをどうしても受け入れる事ができないうえ、トレパネーションによって真実から目を逸らせなくなった人間です。
要は人生経験が薄いなか大きな失敗をしてしまい、前進も後退もできなくなって詰んでしまったんですね。
不細工な過去を消し去ったり、自分のせいで落ちぶれた人を実感して仕事がスランプになったり、ホームレスに馴染むことができず車中生活を続けながら、これまで通り高級ホテルに出入りをしたり、自然と嘘をつくクセから、ストレス耐性が極めて低いことが分かります。
そのうえ学生時代の他人を見下した心の内や、ホムンクルスが伝染するという現象が自分自身を見て欲しいという心の表れであること、「ななこ」が語った雲という自分の印象を引きずっていることから自己愛が極めて強いです。
極めつけは「ななこ」と勘違いして「ななみ」に言い放った、俺は黒いのっぺらぼうじゃなくて白い雲のはずだというセリフです。
その頃の名越は嘘で塗り固めていて誰がどうみても白い雲ではないのですが「ななこ」が見てくれた綺麗な自分のイメージにすがりついています。
そしてラスト直前の車が雪に埋まり対照的に真っ暗になった中で「ななみ」が見た鬼の顔の名越です。
この時の名越の意志を意訳すると「俺は君を心の綺麗な「ななこ」として見るから、君は俺を真っ白な雲の名越として見てくれ。なぁに、今ホムンクルスが見えなくてもトレパネーションすれば大丈夫、いいからあなたを見るって言え!」といった感じでしょうか。
本当の姿を見てくれと言いつつ、透視の見返りで名越が決めた名越の姿を見ろと言っているんですね。
これは金融マン時代の名越が虚無感を覚えた、プレゼントの見返りに快楽だけのセックスをするのと何も変わりません。
そもそも「ななこ」が名越を雲と表現したのも、好意的な解釈という意味での嘘が含まれたものです。
名越の回想で「ななこ」は、初潮を迎えて困っている女の子とおじいちゃんの様子を、おじいちゃんの性的虐待と勘違いしました。
良く言えば純粋でつかみどころが無く、自分を包み込んでくれそうという雲のイメージですが、名越の人生ありきで考えると、実体も中身も無い空虚な存在という解釈もできますね。
赤ん坊のように眠る名越の寝姿は良くも悪くも無垢な本質を表しているのでしょう。
人は見たいものを見たいように見て、そのために多かれ少なかれ内外に嘘をついたり、本音と建前を使い分けて生きています。時に脚色の無い現実が露呈して傷つくこともあるけど折り合いをつけなければいけません。
嘘(金と地位)も本当(「ななこ」)も失ってしまった末、強い自己愛によりまた嘘にまみれる事を選んでしまった結果、名越は狂いホムンクルスの姿が自分自身に見えるようになりました。
ホムンクルスは自分を守るための嘘の実体であったわけですが、名越自身がそうなってしまいました。
最終回のクリスマスの街で、名越がカップルに説き伏せた言葉はそっくりそのまま名越自身にも当てはまりますが、名越は恐らくそれに気づきながらも、それを他者から自分に都合の良い形で提示してくれることを待ち侘び続け、時が過ぎて女性化した伊藤と再会して同行してきた警察に身柄を確保されて物語は終わりを迎えます。
警察が来た理由は、「ななみ」が同行していないことと、人を見続けるのは疲れたというセリフから、獲物を捕まえてはトレパネーションを繰り返して殺人などを犯してしまったのでしょう。
名越が伊藤に向けた、元はと言えばお前のせいという言葉も重みがありますね。
トレパネーションをしていなければ、何だかんだ狂わずに生きていける道があり、徐々に自分と向き合う事もできたかもしれませんが、ホムンクルスが見えるようになってしまったばっかりに完全に人の道を外れてしまったため自業自得ながら可哀想ですね。
ヒカリマンは記号と実体という点において本作と近いテーマで、本作よりもマイルドに表現されているので、本作が楽しめた方はヒカリマンもオススメします。
まとめるとホムンクルスは
全てを捨てた男である名越がホムンクルスを通して自分探しをした結果
予想以上に闇が深くて空っぽな存在であることに気付いたけど
その現実を受け入れられず壊れてしまった物語です。
山本英夫先生のマンガはエロ・グロだけでなく、誰しもが考えるであろう人間心理の描写においてもグサグサ読者に刺してくるものがあり、刺激的でとても好みです。