他人の目を気にしない生き方:人の影響力を考える

他人の目を気にしない方法を考えてみました

私は子供の頃から凄く人の目を気にする子供で、割とやんちゃ坊主のカテゴリに属してはいたものの先生などの大人はけっこうな恐怖の対象で、怒られたら嫌だなぁとビクビクしながら他の友達に混ざってやんちゃな遊びをしたりしていました。

思春期以降の不安定な時期は、確実に根っからの陰キャ属性なのに自虐的になることもできずプライドが高めで、アルバイトという新しい社会に触れた事もあって、周りから失望されたり軽く見られたりする事に敏感になっていました。

という感じで表面上は明るくしつつも劣等感・コンプレックスの塊だったのですが、とある考え方に行き着いた事で劣等感がだいぶ落ち着いたので、ご参考までにここに書き残します。

その人が持つ社会全体への影響力で考える

自分を評価する立場の人や、自分に対して何らかの印象を抱くであろう人が居たとして、その人が私に抱いた印象や評価は、社会全体のスケールでどの程度の影響力があるか?という基準で考える事です。

言ってしまえばよくあるマクロな視点で物事を見るという結論ですが、より具体的に考える事でイメージしやすくなるのではないでしょうか。

例えば、自分が属する部署の所属長やその社員に「お前はダメな奴だ」なんて思われても、その人達のその評価が影響を及ぼす範囲はどれだけ広がってもその会社内だけでしょう。その会社から一歩出てしまえばただの人同士です。

社長や所属長でも、抑圧的な先輩や同僚でも、会社という枠組みを取っ払ってしまえば対等な人対人です。一つの判断基準や一方向の評価で上下が決まるような物では到底ありません。

街を歩いていて誰かに絡まれたりからかわれたりしても、直接的な危害を被らない限りはモブキャラに話かけられているようなものなので、嫌な気持ちを抱く事すらバカバカしく思えてきます。

他の人をナメた目で見ろという話ではなく、劣っていると思われたり軽く見られたりするのを極端に恐れる事から距離を置くために、現状で自分の事を悪く見てくる人が居たとして、それ自体が自分の長期的な人生に直接不利益をもたらすのか?と細かく分析をしてみると、気持ちが落ち着いたり、自分のとるべき行動が見えてきます。

一方的または局地的な評価が不利益をもたらすのであれば環境を変えたりする必要が出てきますし、よくよく考えればそんな事は無い場合も多くありますので、じゃあ嫌な気分になるのはもったいないと結論づける事ができます。

環境や評価基準は一つだけじゃない

ひろきゅんは3回ほど転職していますが、褒められ重宝された事もありますし、別の所では要領の悪いグズだと怒鳴られたり、面接で君は向いてないと門前払いされた事もあります。

社会って複雑で、複雑なのは仕方ない事です。現在の環境が自分に合わないなら変えれば良いし、環境を変えなくても自分の中で別の評価基準を芯として持てば、他の事はあまり気にならなくなります。

マクロな視点で物事を判断しながら、自分はどうしたいのか折り合いをつけていきましょう。

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