SNSやブログが定着した現代では、スマホやパソコンがあれば簡単に他人の人生を覗く事ができます。悠々自適に生きている人、苦労している人、情熱を燃やしている人など色々な人がいますが、ネットで外部に何かを積極的に発信している人というのは何か目的に向かって行動を起こしている人が年齢を問わず多いかと思います。
そういう人や自分の身の回りで何かに熱中している人を見て、自分のやりたい事が見つからない、思い浮かばないという人は無意識に悩んでしまったり、焦りの気持ちを抱いてしまうかもしれません。今回の記事がそんな悩みを抱く方たちの一助になればと思います。
別にやりたいことが無くてもいい
やりたいことが無いなら無いでいいんです、他人に余計な事を言われてもその人が全責任を被ってくれる訳でもないならば無責任かつ余計なお世話です。
自ら競争心を奮わせる事はモチベーション向上の手段として有りですが、アスリートでもない限りこの社会は誰かと競争している訳ではないので、行動していない人間は人として遅れを取っているなんて事はありません。
意図して誰かに迷惑をかけない限り、生きているだけで充分です。
『やりたいこと』を深く考えすぎ?
人生の目標とかそういう表面的な言葉に捕らわれて『やりたいこと』を高尚なものとして考えすぎてはいないでしょうか?
別に「毎日たくさん寝ていたい」とか「昼から酒を飲みたい」とか「一日中ゲームをしていたい」みたいなストレスが溜まっている時に考えるようなありのままの欲望でも立派なやりたいことです。
やりたいことをやっている人と、やれていない(とされている)人の違いは欲望を実現しているか、そのための手段や計画を実行しているか否かの差にすぎません。
余裕がある時に「毎日たくさん寝るために通勤時間を短くしたいから引っ越そう」とか「明日ずっとゲームをするために掃除洗濯を今日やろう」とか「将来ゲームを好きなだけ遊べるように不労所得を作ろう」みたいな事を考えるだけで『やりたいこと』に向き合っていると私は思います。
やりたくないことを考えてみよう
別の考え方として、やりたくないことを徹底的に避けられるように人生設計をするという手法もあります。嫌いな事を挙げるのは、目標とかやりたい事を挙げるよりも簡単ですよね。
例えば「コミュニケーション重視の仕事には就きたくないからデスクワークのスキルを身に着けよう」とか「そもそも通勤がしんどいから在宅ワークで生活できないか考えよう」みたいな、やりたくないことは万が一でもやらなくて済むような生き方が身に着くように、マイペースに努力をしてみればよいと思います。
現代の日本にいる限り将来はどうせ70~80まで働かされるので、ゆっくり考えていきましょう。
やりたいことについて悩んでしまうという心境は、漠然とした現状への不満・不安などを抱えているか、誰かに余計なことを言われた時ではないでしょうか。
その不満や不安の裏に隠れたありのままの欲求を拾い上げて、それを実現するために行動するのが『やりたいこと』をやっているという事になるんだと私は思います。
誰かに何かを言われた時は聞き流してその人物とは距離を置きましょう。大概の人間はあなたの人生に対する影響力を持っていませんから考えるだけ無駄です。
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他人の目を気にしない生き方:人の影響力を考える