『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』が炎上・酷評された理由を考えた

ドラクエ映画がここまで炎上して叩かれている理由を考えました。

まず始めに、この記事は映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』のネタバレ等を含んだ記事になりますが、作品の感想ではございません。

ネット上に点在するネタバレと酷評を拝見したうえで「結局のところ本作は何が悪かったのか?」を考えた記事となります。なので本作の内容と炎上の様子をご存知の方に読んでいただければと思います。

私は映画は未視聴です、お盆期間中に恐いもの見たさで観に行こうと思っています。ついでに実写デビルマンもAmazonプライムで観てみようかなとも思ったり。

本当のメッセージを隠し続けた事が最大の罪

のっけから結論なんですが、この映画がここまで炎上して、実写デビルマンと肩を並べるとかもはや悪評の大喜利状態になった最大の要因は、鑑賞者の予想とその内容(ラスト)に齟齬がありすぎたからなんですよね。

私もCMやバラエティ番組における本作の特集を何度か見ましたが、そこからVRやメタ描写を感じ取る事は一ミリも無く、あーDQ5をモチーフにした冒険譚なんだな~としか思いませんでした。

さらに本編も伏線を張っている(らしい)ものの、仮想空間である事をベールに覆う構成にしたのは最大の悪手としか言いようがありません。ラストの展開に対する準備が全くできず、カタルシスもへったくれもありませんよね。

突然悪の親玉がウイルスになって、応援してたリュカが現実のただの人だと分かって、虚構の世界の中でも虚構の存在であるウイルスが虚構を皮肉って、それでも虚構が大事って言われても困ります。

虚構でも大切な物があるみたいなメッセージにしたいんだったら、両方の世界をきちんと描いてこそだと思います。

元プレーヤーにとってDQ5は誇張なしで「もうひとつの人生」

今回の騒動を傍目で見ながら、DQ5というゲームはどういうものか再考してみたのですが、個人的な結論は「めちゃくちゃ完成度の高い人生のロールプレイングゲーム」でした。

物語は幼少期から始まり、父を追って一人で洞窟を探索する時の心細さ、夜中の廃墟を探索する時の不安感、圧倒的な強さでモンスターをぶちのめして戦闘終了後にホイミをかけてくれる父の頼りがい、面識のある人間が殆ど大人である中でのビアンカとの交流など、子供の頃に自身の肌で感じる情景にあふれていて、虚構の一言では片付けられない臨場感なんですよね。

子供の時にプレイすれば自分の事のように感じられるし、大人になってからプレイすれば懐かしく思うことでしょう。

そして母は死んだと思わされるオープニングや、パパスとの別れ、青年まで奴隷生活という子供心でも「これはひどい」と理解してドン引きできる鬱展開によって、物語への感情移入と宿敵ゲマへの怒りは最高潮に達するわけです。もうプレイヤーは完全にDQ5の主人公としてロールプレイさせられています。

そのテンションのまま結婚イベントに移り、合理的な選択を取るか・絆と思い出を優先するか、本当に自分の事のように悩むんですよ。そして後に子供が生まれるとその子供は妻の髪の色をしていたりと、とにかく人生なんです。

ちなみに私は結局フローラを選びました。昔から本質は合理的な人間だったようです。

山崎貴監督の罪をもうひとつ挙げるなら、本人が未プレイであると公言したとおり「DQ5の真髄を知らなかった」という事ですね。今回のちゃぶ台返しのラストをするにはモチーフが適当では無いし、少しでもDQ5とはどういうものか肌で感じていれば思い直していたかもしれません。そしてモチーフが5以外のドラクエであればここまで炎上もしなかったでしょう。

予想も期待も裏切った詐欺のようなラスト

上述したゲームの映画化が決まり、親となった元プレイヤーは、あの唯一無二の体験を自分の子供にも肌で感じてもらいたいと思うでしょう。

リメイク移植はされているものの、レトロゲーかつ現代では主流と言い難い長編のコマンドRPGよりも映画は敷居が低いのでうってつけです。子供と同じ時間を共有するいい機会でもあります。

親でなくとも、初のドラクエ映画でしかも5だなんて、どういう展開にするのか?未だに沈静しない嫁論争にどういう解釈を打ち出してくれるのか?当時の記憶が蘇り期待と不安が入り混じりながら劇場に足を運びます。

ラストはどんでん返し!所詮ゲームはゲームだ!大人になれ!

うるせえ!ゲームでも俺には大切なんだあああ!

ぐわーやられたー

少なくとも公開当初でこれを受け入れられる姿勢で鑑賞した方がどれくらい居たでしょうか?

そしてこのようなメッセージは本作を観に来た大人にとっては既に通過済みの地点で、壮大な前振りまであつらえて2時間弱かかって突き付けられるべきものではなく、また子供にとっては上述したとおり準備ができてないので面食らうだけです。

ピンチの仮面ライダーがいきなり「僕は実は嘘の存在でこの中身はあのイケメン俳優じゃなくてスタントマンなんだけど応援してくれ!」とか言ってきたらどんな顔をすればいいか大人の私でも分かりません。

ただラスト以外のクオリティが概ね好評である事と、仮想空間の肯定という結末を思うに、決して山崎監督に悪意があったとかリスペクトが全く無かったとかではなく、結果的に認識が甘かったうえに題材も悪くて、誰も幸せにならなかった凄く不運な人災と考えた方がいいのかなと思います。

ちょっとした認識のズレなどでここまで物議をかもしてしまう事もあると分かり、やはり創作は難しいと他人事ながら思いました。

私はドラクエも好きですし、山崎監督が過去に手がけた『リターナー』は恐らく人生で一番繰り返し観ている映画なので、この騒動が一部で煽り合いみたいな事にまで発展しているのはとても残念です。

余談ですがリターナーは邦画で完璧に『マトリックス』をやってのけたトップクラスのアクション邦画だと思います。映画をたくさん観ている訳ではありませんが、あれ以上にスタイリッシュな邦画にはまだ出会えていません。

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