💪将来の夢や目標の話になると根性論・精神論がまかり通るのは何故か

夢や目標を実現するために背水の陣で挑むのは悪いことでしょうか。

みんな気になる将来の話

SNSとかで気軽に個人の悩みやエピソードがシェアされるようになりましたが、人の注目を集めたり口を挟みたくなるような内容の一つに、夢や目標に関する悩みがあると思います。やはり将来の事は殆どの人が考えており、そこかしこで日々議論が絶えません。

そんな将来の話の中でもセンシティブなのが「退路を断ち切って夢や目標に専念する」ようなネタですね。主に仕事や学校を辞めて別の道に専念したいという内容です。少し前ではこのような記事が話題になっていました。

参考 漫画家が知人の姪が漫画家になるために高校やめたから応援してと言われるも断った話

上記の記事の例はかなり極端なパターンで、いくらなんでも学校は行っておいた方がいいと思います。学校の偏差値と自分の学力のパワーバランスにもよりますが、授業サボりながら絵とか書けますし(非推奨です)

私が本題にしたいのはそこではなくて、こういう話に決まって出てくる意見が「本当に熱意があるなら仕事(学業)が終わってから又は休みの日に努力できるだろう」みたいな意見ですね。さほど間違っていないですし、恐らく「現状の基盤を取っ払うのはリスクが大きいよ」という意味の老婆心からくるアドバイスでもあると思うんですが、私はこの意見を見るたび疑問に思うんですよね。

目標のための時間は多い方が絶対にいいよね

当たり前の話、努力できる時間は絶対に多い方が良いはずなんですが、それよりもリスクヘッジとか他人が計りようの無い熱意の話にベクトルが向かうのが凄く疑問です。もちろん当事者が時間を充分に設けたところでその時間を全て費やすバイタリティを持っているかは別ですが、ネット上だときっとそうはならないという論調が多いです。

実際問題、経済的な面での環境が子供の将来に影響するというのは、それなりにエビデンスが挙がっています。経済的な余裕とはつまり時間的な余裕も含まれており、それが確保できるのであれば時間は多いに越した事は無いはずですが、第三者が非常に及び腰なテンションで口を挟むのは、やはり日本人の国民性でしょうか。

参考 『親が金持ち』である事が一番のチート?それを音大に行って実感した話に様々な反応が集まる

正直「熱意があれば働きながらでも云々」みたいな言葉は、居酒屋チェーンを営む某ブラック企業の元会長の迷言とさほど変わらない気がします。熱意が大事だ・いや環境が大事だみたいな鶏が先か卵が先かみたいな話はともかく、当事者としては出来る限り高いパフォーマンスを発揮できる環境を整えたいのは当然です。仕事をしながらだと、休日でも完全なオフタイムを作るのは難しいです。伴侶や家族が居る方ならなおさらですね。

著名な方の発言を挙げられる方もいらっしゃいますが、浮き沈みの激しい自由業だと、どういった立場においても元会長の発言と変わらず生存バイアスがかかったポジショントークになってしまい、あまり参考にはならないんじゃないでしょうか。背水の陣で成功した方も、兼業で器用に立ち回った方も両方たしかに存在しています。

生存バイアスとは、挫折や脱落したものは統計に挙がらない又は意図的に統計せず、成功例のみを例に挙げて統計する偏りのことです。

結論:退路を断つ気があるなら早いタイミングで一度やってみるべき

反対意見を持つ方が懸念されているのはやはり「夢や目標を隠れ蓑にして甘えているのでは?」ということですね、近い立場に立った事がある私の記憶から言わせて貰うと、隠れ蓑にしているかどうかは本人ですら分からないので、実際にやってみるしかないです。その時点では本当にやりたい事を目一杯やりたい気持ちになっています。

転職などで色々な人と関わって感じたのですが、明確な夢や目標に向かって目一杯努力したい!って考えてる人って思った程いないんですよね。個人的にはその気持ちを抱いた時点で非凡な人間の世界に一歩踏み出していると思います。

ただその非凡な熱意を保ち続けるのはとても難しいです。私は貯金もあまり無いまま絵を描きたいからと仕事を辞め、1人暮らしを続けていたので、RMTで日銭を稼いだりしながら夜中まで絵を描くうちに、不規則な生活で思うように絵も描けなくなり、多趣味な性格もあって絵に打ち込めなくなっていきました。

常に生活基盤の不安定さや理想と現実のギャップを気にしながら、とうとう生活が立ち行かなくなって身の振り方を本格的に考えなければいけない時に「自分は熱意も人並みの凡人なんだなあ」という挫折感を覚えた時は自然と涙が出てきました、後にも先にも考え事だけで涙を流したのは現状でその時だけです。

ただ今ではその経験を経て、凡人なりにやりたい事をやるための取捨選択や、自己管理などに意識を向ける事ができるようになりました。

第三者からすれば「どうせ失敗するぞ」→「ほら失敗した、無駄だったね」になるんですが、その間に当事者は物凄い感情の揺らぎや思考が巡り巡っていて、思い返せば割と貴重な経験だったと言えます。

もしかしたら非凡な才能が開花するかもしれないし、駄目でも貴重な挫折を味わえる。分の悪いギャンブルですがどちらに転んでもある意味リターンが大きいと言ってもいいのではないでしょうか。

このような私の経験談を交えたコメントも、いま多少なりとも社会復帰できている運の良い例で生存バイアスの1つではあるんですが、普通の人がやらない事をやるというのは、良くも悪くも違うものが見えてくるので覚悟の上で実践してみるのも悪くはありませんよ。

ちなみに、RMTで日銭を稼いでいた時のエピソードはこちらで述べています。

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